産経新聞 令和4年2月6日配信
国内外の心臓病の子供たちを救う「明美ちゃん基金」(産経新聞厚生文化事業団運営)は、来年度から国内で心臓移植を待つ子供たちへの支援を実施する。
柱になるのは、移植待機中に必要な小児用補助人工心臓の寄贈と、国内で待機中の子供やその家族への財政支援だ。しかし、移植を待つ子供たちの命を救うためには、何よりも移植医療に対する社会の理解が欠かせない。
支援開始を前に、基金は移植医療に向き合う患者やその家族の今を紹介する。
■迷う時間なし
同世代の男の子と同じように走り回ることをまだ知らない。家族と会えるのは1日に5時間だけ。半径2メートルの世界から見える景色、聞こえる音の中で、人生の大半を過ごしている。
まもなく4歳になる玉井芳和(よしかず)ちゃんは拡張型心筋症を患い、心臓移植を待つ日々を送る。ドイツ・ベルリンハート社の小児用補助人工心臓「EXCOR(エクスコア)」を装着してから3年。昨年12月には、エクスコアの装着日数が国内最長となった。
「覚悟はしていたが、正直もう少し早く帰れると思っていた」と母、敬子さん(35)は話す。
芳和ちゃんは平成30年2月8日、3人きょうだいの末っ子として福井県で生まれた。周囲の目には元気な赤ん坊に写っていた。
しかし同年10月、離乳食を吐くことから「念のため」と勧められた検査入院で、心臓が大きく、動きが悪いことを告げられた。「最初はそれが大変なことだとは分からなかった」という敬子さんも、拡張型心筋症という病名に行きつき、その意味を知った。「5歳まで生きられないかもしれない」。毎晩、病室で泣いた。
すぐに転院した京都府内の病院で大きな決断を迫られた。心臓移植を目指すか、短い人生となることを受け入れるか。移植を選ぶなら補助人工心臓で命をつなぐ必要がある。小児用のエクスコアは台数に限りがあり、当時、国内で空きがあったのは1台だけ。迷う時間はなかった。
国内での心臓移植を目指すことを決め、国立循環器病研究センター(大阪府吹田市)に転院。同年12月27日にエクスコアの装着手術を受けた。「念のため」の検査入院から、わずか2カ月ほどだった。
■襲うコロナ禍
一家は病院の近くに引っ越し、敬子さんが週に6日、夫の芳英さん(39)が週に1日、病院に通う。病室で一緒に過ごせるのは1日5時間。敬子さんは長さ2メートルの管が届く範囲でしか動けない芳和ちゃんを抱いて過ごす。顔立ちからは成長を感じるが、体はまだ小さいままだ。
移植を目指すことを決めてから3年。希望の光が差したこともあった。平成22年の改正臓器移植法施行を機に、国内の心臓移植は徐々に増加。令和元年には過去最多の84件となった。「波に乗れるかもしれない」。しかし順番は訪れず、反対に新型コロナウイルス禍が影を落とした。
「他にも移植を待つ家族がいる。待機期間が一番長い自分たちが暗くなってはいけない」。先が見えない日々を前向きに過ごそうと思う半面、不安は常に顔をのぞかせる。芳和ちゃんは「状態は基本的に悪くて、さらに下がってまた戻ることの繰り返し」(敬子さん)。別れ際の敬子さんの言葉に反応しないこともある。
■2人分の「炎」
敬子さんにはもう一度見たい光景がある。芳和ちゃんが生まれてから8カ月だけ送った、家族5人での生活だ。7歳の兄と5歳の姉とはこの3年間、数えるほどしか会えていない芳和ちゃん。「3人の子供は夫とそっくり。並んで寝ている姿を見たい」
2月8日は芳和ちゃんの4度目の誕生日。1歳になる前に入院生活に入ったため、自宅で誕生日を過ごしたことはまだ一度もない。今年も病室のベッドの上で迎えることになる。
誕生日が同じ敬子さんは毎年、自宅でケーキに2人分のろうそくを立てている。家族で一緒に誕生日を祝える、そんなささやかな日常が訪れることを願いながら。(鈴木俊輔)
■移植までの命の綱、補助人工心臓
心臓移植を待機している患者に欠かせないのが、衰えた心機能を補うための補助人工心臓だ。
国内で臓器移植法施行後初の心臓移植が行われた平成11年当時、補助人工心臓は、体外に補助するポンプを置く「体外設置型」しかなく、患者は大きな駆動装置につながれて入院生活を送らざるを得なかった。
それから20年以上が経過し、今の主流は体の中に補助するポンプを埋め込む「体内植え込み型」となった。小型の電源をカバンなどに入れ動き回ることができるため、在宅待機や社会復帰も可能となっている。
しかし、体重20キロ以下の子供は状況が異なる。
体が小さいと心臓も小さく、血液の流量コントロールが難しいため、主流の植え込み型は使用できない。乳幼児の頼りの綱は、小型冷蔵庫ほどの大きさの駆動装置を必要とする対外設置型のエクスコアのみだ。
ドイツ・ベルリンハート社製で、EU(欧州連合)では1996年に販売基準に適合したことを示すCEマークを取得。今では40カ国以上で約3300人に使用されるなど信頼性の高い医療機器として知られる。
一方、日本では小さな市場規模ゆえに「利潤が出ない」として多くの企業が取り扱いを躊躇(ちゅうちょ)し、海外の医療機器が日本では使えない「デバイス・ラグ」の象徴とされたこともあった。結局、神戸市の医療機器メーカー「カルディオ」が輸入販売を決断し、平成27年に国内販売の承認を受けた。同社の柳裕啓(やすひろ)社長は「子供たちを救うために手を上げるしかないと思い、決断した」と振り返る。
現在は全国12施設に約50台が導入されているが、バックアップが必要なため、稼働しているのは約30台だ。通常、左心補助のため左心室から大動脈に、右心も補助が必要な場合は右心房から肺動脈に、それぞれ管をつなぎ、体外のポンプを経由して血液を送り出して心臓の働きを補う。ポンプは体重2・5キロから使えるものなど4種類ある。
ただ、補助人工心臓は装着期間が長くなればなるほど、感染症を引き起こしたり、血栓が生じて脳梗塞などを発症させたりするリスクが高くなる。各医療機関は、病と戦う子供たちの未来をつなぐべく、慎重な管理を日々続けている。
■移植でしか助からない人がいることを知ってほしい 市川肇・国立循環器病研究センター小児心臓外科部長
重い心臓病を患う子供たちにとって生き永らえる唯一の方法は心臓移植だ。補助人工心臓を装着しても心臓移植に至らなければ命の灯を燃やし続けることはかなわない。どんなに元気そうに見えても、今楽しそうに笑っていても、その時は刻一刻と近づいていく。
日本の心臓移植は以前より増えたとはいえ、諸外国に比べて数は格段に少ない。新型コロナウイルス禍で状況は厳しさを増し、私が働く病院でも小児の心臓移植が行われなくなって間もなく2年が経過する。それでも補助人工心臓をつけた子供たちは、ひたすら心臓移植を待ち続けている。
そもそも、小児用の補助人工心臓はこれほどの長期装着を想定しておらず、欧米では4~5カ月の装着が一般的だ。だが日本では装着から3年たった小児患者もいる。患者を支える家族の負担も大きい。中には病院に近い場所に引っ越す家族や、他の子供たちを地元の家族に託して看病に奔走する親もいる。
日本で心臓移植が進んでいかない背景には一人一人の関心の薄さも影響していると感じている。臓器提供に見返りはない。しかし脳死になった場合でも、大事な家族の臓器が移植で生き続けるという事のすばらしさと、臓器移植でしか助からない人たちがいることをどうか多くの人に知ってもらいたい。情報を繰り返し伝え続け、自分の事として考えていく土壌を社会につくっていくことが何より重要だと思っている。(談)